【TICAD(アフリカ開発会議)Ⅴ関連イベント/4月26日@京都】<アフリカ最後の植民地解放に向けて>★西サハラ難民からのメッセージ★民族自決権の行使をめざして 【西サハラ・アラブ民主共和国】 西サハラ難民政府アジア担当大臣ムロウド・サイド氏が語る(解説:平田伊都子さん)








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<アフリカ最後の植民地解放に向けて>
西サハラ難民からのメッセージ★
 民族自決権の行使をめざして
西サハラ・アラブ民主共和国】
西サハラ難民政府アジア担当大臣ムロウド・サイド氏が語る

日時:4月26日(金)18:30〜20:30
場所:ひとまち交流館京都 第5会議室(河原町五条下る東側)
http://www.hitomachi-kyoto.jp/access.html

講師:ムロウド・サイドさん(西サハラ難民政府アジア担当大臣)

解説:平田伊都子さん(SJJAサハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション代表)


写真は:2012年10月23日アオマル西サハラ首相と平田伊都子さん、西サハラ難民キャンプで。

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主催:西サハラ問題を考える実行委員会
連絡先:京都市北区衣笠東尊上院町 26−2  杉山 090−3728−0079


日本の外務省はAU連合54参加国のうち、西サハラ・アラブ民主共
和国だけをTICAD5に呼びません。

「日本は、西サハラ・アラブ民主共和国を承認していない」ので、
声をかけると外交政策を180度転換することになるからだそうです。
つまり、日本国外務省は西サハラをモロッコの一部と見なしていること
になります。現在、世界中が西サハラ民族自決権を認め、更に84か国
がその存在を認めているのに時代遅れな話です。

 37年前に難民キャンプで立ち上げられた亡命政府の幹部が、京都市
民に西サハラ民族自決権と、モロッコによる人権侵害を訴えるため、やって来ます。


平田伊都子

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【資料】アフリカ最後の植民地−西サハラ

1−地理
面積:266,001平方KM(本州の 1.1倍)モロッコが作った約 2000KMの防御壁
「砂の壁」が西サハラを縦断。大西洋側の大部分をモロッコが植民地支配

2−住民
西サハラ人は、アルジヱリアの難民キャンプに約 20万人、占領地に約 7万人
ロッコ占領地のモロッコ人入植者が約 15万人、モロッコ兵が約 10万人

西サハラ独立運動小史】

1884 スペインが西サハラを植民地化(1975まで)
1960 国連総会で植民地独立付与宣言が採択。西サハラも対象地域になる
:1973 ポリサリオ戦線西サハラ独立解放組織)創設
1974 国際司法裁判所が「モロッコ西サハラ領有権」を否決
1975 モロッコ西サハラに「緑の行進」と称し越境示威行進を強行。

スペインがモロッコモーリタニア西サハラを 2分割し、撤退。

ロッコモーリタニア両軍に追われ、西サハラ住民は難民化
1976 西サハラ難民はアルジェリアの砂漠でサハラアラプ民主共和国を創設
1979 ポリサリオ戦線モーリタニア軍が和平協定。モロッコ軍が全土展開
1987 モロッコが砂の壁を完成。壁の両側に地雷を配置。
1991 国連の仲介でモロッコとポリサリオが停戦。国連は住民直接選挙を
約束。エドワードケネディー等が米両院で国連選挙支持決議
1997 国道選挙を嫌うモロッコ西サハラ石油ガス鉱区を公開し契約締結。
ジェームス ペーカー国連特使に就任。が、モロッコは選挙に反対
2007 7年間途絶えていた紛争両当事者の直接交渉を国運が再開


レポート:平田伊都子

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