【注目記事】ODAを日本の経済成長に使うな 英国流「国際協力基本法」を作ってはどうだろうか−日経ビジネスオンライン

日経ビジネスオンライン」に吉田鈴香さんの以下の記事が掲載されていました。大手マスコミでこうした論調が掲載されることは極めて稀なことです。

 その前に、筆者について一言。同HPの記事で吉田さんは以下の記事を書かれています。日本国憲法の前文の「平和的生存権」や25条の「生存権」規定に立脚して日本のODAの目的を説きODAの全額無償化を主張する吉田氏の論考にはかねてから個人的に注目していましたが、「ODAを日本の経済成長に使うな」というODAの基本的な理念からして極めて当たり前の議論が、猪瀬直樹流の近視眼的な(自国エゴイズムの)極めて狭い「国益」主義に圧倒されている現状を打開するためには、こうした憲法論議を含む「そもそも論」的な議論、「ODAは何のためにあるのか」「世界の貧困問題や環境問題の解決はなぜ日本の市民にとって重要なのか」というところから出発すべきなのではと痛感させられます。


新JICA発足、目的と財源は不明確なまま(一部抜粋)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20081003/172523/?P=5

 援助は「国際的な生活保護」と考えたい。1人当たりGDP1位のルクセンブルクと、最下位周辺のマラウイとでは約90倍の開きがある。マラウイの物価がルクセンブルクの90分の1というわけではなく、必要な電気や水が手に入りにくい状態で、可処分所得はゼロ、もしくは必要な衣食住も賄えない状況で人々が暮らしている。通常、自分の国の中で、平均より90分の1の生活レベルに陥る人があれば、生活保護を出す。つまり、所得分配である。

 この考え方は、「人道主義」とは異なる。人道主義とは、キリスト教精神のように「人間愛」に基づく慈悲の心によって援助をする、という意味だ。だが筆者が唱えたいのは、世界には極端な不平等があり、その格差を縮め、万民が文化的な暮らしが営めるように、最低限の生活水準の保証をすべきという理念である。さもなくば、社会改良主義者による暴動、つまり社会不安が起きる。それは日本を含め先進国が経験してきたことだ。これは宗教に関係なく、誰も否定することができない人類普遍の概念であると信ずる。

 引用にはいささかためらいがあるが、参考までに、日本の憲法にはその精神が書かれている。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(日本国憲法前文から抜粋)
「一、すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
二、国は、すべて生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」(日本国憲法第3章 第25条)

 日本では、大学の講義などでも「日本のODAは戦後賠償から始まった」と教えているが、賠償と生活保護の概念は全く別物である。ODAOECDDAC(開発援助委員会)から移植された言葉であったために、概念をよく理解できていなかったのだろうが、主要ドナーでは生活保護の国際版として捉えているのである。

 上記の理念をいかに叶えていくかを考えると、ローンでは無理だと分かる。財投という原資が消滅し、借り手もないのだ。もはや無償資金協力しかない。それもゆくゆくは、ガバナンスを見て、ガバナンスが良好と思われる国に対して使途を制限せずに資金を渡す方向に移るのが望ましい。

 筆者のこの意見に対して、外務省国際協力局のある人は、「それは現実には無理。1割もいけばいいほうで、先行してやっている米国にせよ、国際コンサルタントと称する自国民を送り込んで勝手なペーパーを書かせて、それに準じて資金が使われているだけ」と、否定的である。

 現在はそうだろう。だが、アジアのどこかの国では可能かもしれない。小額から始めてみる価値はある。取引費用の軽減にも資する。実際のオペレーションなどしないJICA職員を減らして、ガバナンスの良い国に資金提供することは、決して冒険にはならない。もっと小さなODA機関でよい。

 「ガバナンスの良い国に一切の付帯条件を付けず資金提供します」とは、ドナー協議をリードできる名言である。健全な愛国心と言うべきか、日本のナショナリズム保全するために、思い切った理想論を展開するのが、国際社会の「言葉の戦争」では何よりの武器である。


(以上、引用終わり)


 こうした議論を行うためにも、6月に東京・大阪・京都で開催されるODA改革関連イベントが大変重要な機会であると思われます。

 
 管理人


(以下、当該記事の転載です)


日経ビジネスオンライン」よりhttp://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100521/214559/


ODAを日本の経済成長に使うな 英国流「国際協力基本法」を作ってはどうだろうか

吉田鈴香
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20100521/214559/#author_profile_tag


 日本の政府開発援助(ODA)には、「無償資金協力」「円借款」「技術協力」の3種がある。この中の、円借款は1件当たり数百億円に上ることもある巨額マネーだが、この活用をめぐって、国内で議論が起きている。


援助マネーとして高い評価を受ける円借款

 厳格な援助論で有名な米ニューヨーク大学のWilliam Easterlyは2008年、「マネーはどこへ行く? 外国援助における最善最悪の実践例」というペーパー(「Journal of Economic Perspectives」Vol.22, Number 2, 2008年春号)の中で、円借款事業を全世界の援助機関の中で、高ランクをつけた。

 透明性、アンタイド(受注先を指定しない制度)などいくつかの点が、彼が唱える理想の援助の形に合致したと、判断されたのである。

 円借款の日本企業の受注率はここ10数年ですっかり下がり、20%くらいである。ほぼ完全な一般公開入札制度を敷いているからである。

 中国、韓国、インドなど、労働賃金が安い国の企業が落札することも多い。激しい競争の中で、日本企業が20%近くも受注しているのだから、かなり努力して安値を出しているのではないか、と想像している。

 援助は基本的にアンタイドが主流なのであるが、世界の国々は巧妙に自国の企業が有利になるよう仕掛けをしている。

 例えば、入札条件に『これこれの技術を有している企業を求める』などと条件付けるのである。その技術を持っている企業が、世界中で特定の国の特定企業しかなければ、おのずと落札企業は決まる。

 あるいは、『フランス語を母国語する人間を採用』と条件付けられれば、フランス人の雇用が実質上義務付けられたことになる。要は、そうした知恵を途上国政府にインフォームする人物が、アドバイザーとして現地政府にいれば、かなり有利に働かせることはできる。


インフラ・ファンドといえばJBIC円借款

 このように世界中の援助の中でも高く評価されている円借款であるが、日本の経済が低迷すると、国内で円借款を日本企業の輸出に利用する動きを生む。実際、国家戦略室で、最近それは生まれた。

 仙谷由人国家戦略担当大臣が4月上旬に2回、「パッケージ型インフラ海外展開推進実務者会議」という名で、会議を開いている。会議の内容は、国家戦略室のホームページで公開されている。それによると、アジア向けの輸出を促進して再び日本を経済成長へと復帰させることを目的にしているようだ。

 会議では、仙谷大臣を筆頭に、古川元久国家戦略室長、外務、財務、経産、国交、内閣官房、民間銀行の実務担当者らが集まり、日本の得意な製品である新幹線、原子力発電などをパッケージにして一挙に新興国に売り込むことが検討された。

 例えば、線路と新幹線車両、信号などをばら売りせずに、まとめて売ることで付加価値を高め、値引きを避けようとする。「システムでかせぐ」が合言葉だ。

 協議のかなりの部分が、輸出に当たってのインフラ・ファンドをどう調達するかに割かれた。名前が挙がったのは、国際協力銀行JBIC)とODA機関である国際協力機構(JICA)である。日本政府が保障する「リスクマネー」を扱えるからだ。「フランスや米国、中国などほかの国も政府の投資機構がその役割を担っているから」が正当性の論拠であった。一方、民間銀行は、自分たちだけでインフラ・ファンドを供給するつもりはなく、政府から海外投融資資金と円借款が出るなら、シンジケートローンの一角に入ろうという腹づもりらしい。


産業振興には使えないODA

 しかし、開発援助目的の円借款に相当するスキームは他国にはなく、円借款を「パッケージ型インフラ海外展開」に利用する正当性を他国の例に求めることはできない。

 円借款は開発援助のためのお金である。日本の経済成長を狙って、日本企業が独占受注することは無理である。なぜなら、援助を自国の産物の輸出や雇用機会に当てることは、国際的な枠組みで禁じられているからだ。国際的な枠組みとは、2005年3月に経済協力開発機構OECD)から発効されたパリ宣言である。OECDの加盟国である日本が、自国の経済成長のために円借款を利用すれば、OECDからクレームがくる。禁を犯して国際的評判を落としてまで円借款を使うのだろうか。

 会議後の4月末から仙谷大臣と前原誠司国交大臣とが米国やベトナムに渡り、日本製品の売り込みを行った。その際、幸いなことに2人は記者会見で円借款には言及しなかった。JBICについて「日本の成長戦略の原資供給元」として言及しただけだった。


必要なのは基本法と国際協力省

 円借款を日本の経済戦略に使おうという発想が生まれてくる背景には、日本のODAにはそれを定義する基本法と行政府がないからである。何のためにODA、特に円借款はあるのか、理念と方針がはっきりしないために、「あるものを使おう」と考える人が生まれてくる。

 もし、仙谷大臣の思うような方向で円借款を日本の経済成長のために使ってしまうと、評価は大きく下落するだろう。「不透明」「タイド(受注先を指定する制度)」は、援助において最も行ってはいけない行為だからだ。日本は、高評価という資産をどう生かすか、考えた方がいい。マネーそのものではなく、付加価値のほうに着眼するのである。

 今、日本が行わねばならないのは、日本の平和構築や援助をきちんと基礎付ける「国際協力基本法」を作ることである。そして、無任所大臣として国際協力担当大臣を置き、将来的には、国際協力専門の省「国際協力省」を創設するべきだと思う。

 国際協力省は、現在、外務省とJICAの一部が行っている政策作りを行う。そして、ほとんどの省庁がそれぞれ行っている援助事業をすべて、国際協力省の傘下に置く。また、平和構築などについて、防衛省などと協力しつつ平和維持活動(PKO)の一部を担当するのである。


英国を参考にしてはどうか

 世界の援助の潮流を作っている英国を、参考にしてはどうか。

 英国は、援助方針を表すペーパーに「国益」という言葉は一切入れない。そして、労働党政権発足後の1997年に、外務省と援助を切り離し、独立した組織DFID(英国国際開発省)をつくった。組織自体を外交と切り離して、独立した方針を持たせたのである。

 国際協力は日本の国のイメージを形成する大きな要素だ。ODAが日本企業の受注につながらなかったら期待外れと思うかもしれない。でも、それは「狭義の国益」で考えた場合であろう。最終的に日本に「良い国」というイメージができてよい人材を集めることになれば「広義の国益」に大きく貢献することになる。

 JICAを、狭義の国益、日本の経済成長戦略の道具として使うことなく、独立した組織にする方が、最終的には国益を生むと思われる。

(参考記事:日本は、正々堂々と国際支援をしよう)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20081110/176722/